【#06】めくるめくシンボリックモデリングの世界「純粋感覚は山々をすべる」の巻

シンボリック・モデリングセッション10月の部の連載3回目。「感覚」が地上に降りる時の揺らぎのメカニズム。
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意識が三重県境に降り立ち、山肌を滑り、光る石を見つけ、その中に入る。

これが受胎、受肉の瞬間か?

まるでSF。ファンタジーの世界。

言葉にするとキテレツだけど、キテレツなりの法則性というか、感覚の世界での方向性のようなものがあるのを感じる。

  • 日本の真ん中を見つけようとする 感覚
  • 中(あたり)をつけ そこに降り立とうとする 感覚

肉体を持たない「何」かは、感覚でしかないが、その感覚も肉体がないから「痛い」がない。じゃあ、何にもないかといえば、そうではなくて、「何かがある」。

感覚の中で、肉体に由来するものは何もないけど、それ以外がある。ただ、ひとつ決定的に可笑しなことが、この間の次元には発生している。

それは、目なき色、耳なき音、鼻なき匂い だ。

肉体に由来するのなら、何も見えない、聞こえない、嗅げない、と思われるけれど、見えているし聞こえているし嗅いでいる。

それどころか、この世以上に、見えて聞こえて嗅いでいる という感覚がある。

、、、とか書くと、やっぱり明晰夢に近い気はする。

ただし、痛みはない。苦しみもない。ひょっとしたら、地上のネガティブ要素だけが抜けているのかもしれない。(岩に閉じ込められたと感じたとき、絶望と不愉快感はあったけど)

あえていうなら「純粋感覚」。まったき感覚のみ。

その純粋感覚でしかない自分が、地上に降り立とうとするとき、何を目印にするだろうか?

それは、突起したところだった。そう、 である。

地上のことを何も学んでいない意識は、「山」という言葉も知らずに、まずは、降り立ちやすい「突起」を探す場合が多いのではないだろうか。少なくとも、あのとき、わたしは、少し小高い「山」を探した。

日本の多くの高めの山は、近隣の神社の御神体であるなど、霊山とされる場合が多いのはなるほどと思える。御魂を受け取る依代として、その造形が、そのように機能している。

そして、純粋感覚は、滑りやすい山肌を探す。少し凹んだ渓谷や川の流れを探す。水の流れに沿って、するするする〜〜と気持ちよく滑り落ちる。

ここまで書いてハッとした。これは《零 たろう》の在り方だ。高低差をひとりでに流れる自然なままのエネルギー(のようなもの)。考えてみれば、純粋感覚という言葉自体が「たろう」そのものだ。

しかし、今回は《壱 いちひめ》探求。いちひめは、たろうの変化へんげバージョンなのだろうか?

 ──それを続いて書き進めたい。→(vol.7へ)

 

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