自分の幸せを棚上げしてまで

ここ数日、配信のことを忘れていた。
個人的に不快なことがあって、そっちに気持ちがとられてた。

友達の悩みを自分ごととして受け取り過ぎていた。
なんとかしてあげたい、とか
友達なんだから、とか。

もちろん、それが本当に喜びなら、そうしてあげたらいいんだけれど、
喜びではない感覚(=しんどいな〜)が明らかにあるのに、
「聞いてあげなきゃ!」という思いに突き動かされて、本来、そこで受話器を置けばいいところで、
「で、〇〇はどうなったの?」と、問題に突っ込む自分がいた。

その人からの、なんとかしてほしい…という期待を感じる。

……できひんで。( ̄▽ ̄)

なのに、私はここで「責任を感じてしまう」ことがある。

そう、これは、母との間で、よく起こっていたこと。
母からのコントロールに甘んじていたことの追体験やなぁと。

母の時は、ここが無自覚だったけど、今回は、自ら問題に突っ込んでいくのが自覚できた。
わざわざ突っ込んで、わざわざ嫌な思いをした。

……あんたも好きね。😎

と、私は自分にいう。

 

「責任を感じる」という感覚。
胃のあたりにある、重み。これ。

「物語」を、これ に合わせて作っていた。

私が悪いんだという物語。

相手の嫌な顔と、私の幸せは本当は関係ないのに、相手と同じ気持ちになって解決してあげるまで、
自分の幸せを感じるのは不当だ、とさえ考えていたのだ。😅

ほんま、なんでやねん!ワシ。笑

おかげで母との間にあった物語も、かなりクリアになった。

私が尽くすことは、自分の幸せを棚上げしてまで、他者を笑顔にすることではなかった。
  ↑
(真逆の教育されてきたけど。)

私が尽くすことは、ただ幸せであること。
それは探し回らなくても、この瞬間にある ほら、これ やん✨✨
これ にさえ、尽くしていればよかったってこと。

…とここまで書いて、その人と会う予定が急になくなった。

はー、おもろいな。

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昨夏、21日コースを受講してくれた占い師のCさんがお家に来てくれた。今回の気づきにつながったと思う。
ヒニャコを亡くした私に、ADIOSというアロマをお裾分けしてもらった↓

いただいたお菓子の缶々は、私の大好きなレトロポップ柄

 

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