昨夜、いろいろ考えることがあって、ちょっと思ったのだけど、
(長文です🙇♀️)
こころが広がる
ワクワクする
うれしくなる
モチベーションが高まる
これらの要素は、本来の自分と一致した時に、「人間側」が感じる感覚。
本質自体の質だと思う。
だから、その逆の
こころが縮こまる
うつうつなる
悲しくなる
不安や心配になる
などの、いわゆる負の感覚のときは、「自分」から離れている。
だから、不安を感じさせるものは「あなたにとっては」合っていないので、速やかに離れればいいというのが、私の意見なのだけど、
よくあるのが、身近な人、とくに母親のような優しい人が、不安を感じさせてくる場合。
世の中の母親という立場の人は、子供を心配している場合がほとんどなので、感覚的にわかると思う。
「善かれと思って…」というそれである。
心配なんて、「自分」から離れないと感じることはできない。
自身から離れて、その次元での判断になってしまっての助言は、どんなに正論であっても、不思議と違和感がある。
それが心配や危惧から発せられているからだろう。
お母さんって存在は、子供にとって本質的にキラキラしていて軽やかで面白いのに、この違和感って、真逆の重みとか濁りがあるので、なんなんやろ?って思ってったんやけど、たぶん、責任感からなんやな。
子供への責任感が愛情に付加されると、たちまち、お母さんが曇る。
圧のエネルギーが重く乗ってくる。
あれってなんなんやろ?って。
「役割」って感覚が責任感を育んできたんやと思う。歴史上。
特に、争いの多かった中世以降、「役割感」ってとても重要な役目を果たしてきたと思う。すごく大事なことやったんやろな。
ただ、現在の地上では、この感覚は希薄になってきてると思う。
これを握っているとたちまち重くなるのが自覚されてるんちゃうかな。
私は、今、自分がとらわれていると、すごく重いのがわかるよ。
どんなに正しいことでも。
我は「殿」であり、殿の役割。
あるいは、「家臣」であり、家臣の役割。
「ママ」であり、ママの役割。
だから、「こうせねば!」
……というような、意識的に「役割」に向けて自分を制御しようとすると、責任感が発生するのは当然っちゃあ当然。
会社組織なんてのも、この責任感が基盤であったりするもんね。
しかし、この責任感っちゅうのは、ほんまに乱世ならではのもので、旧時代なのだね。
だから、これからは抜けるよ。
100年200年がかりで抜ける。
まったく新しい枠組みに変わる。
要するにひっくり返る。
役割とか役目はあるけど、もっと無作為なもんになると思われる。
植物は光合成をして、人間に恩恵をもたらしている…みたいな役割。
とても自然で、全体と一つになった役割💫
だから、どんな素晴らしい人から、何を聞いたとしても「参考程度」という姿勢が、これからは死ぬほど大事になる。
自分の感覚以上の信頼を、「外」に求めない。
自分の感覚にこそ従う。
まあ、だから、私のこんなタワゴトも参考程度に。
ってか、そもそもヘッポコ万歳🙌なので、どなたさまも参考程度だと存じておりまするよ。はい( ̄▽ ̄)v
自分と一致していると、心配自体は薄くなるってか、なくなってしまい、単純な好悪しか残らない。
その世界観だと、好きなことだけを選択するようになるんだと思う。嫌なことはあっても、できるかぎり避けるか、「あえて」がんばるかの選択の上で決めるようになる🍀
なので、皆さま、それでいいのだー😁✨

