【夢見と神話と…】11.夢を見ない篁(たかむら)さん考

私は、夢見が鮮やかで、比較的覚えている側のニンゲンだとは思うけれど、それは一般的に比べてであって、やっぱりおおかたは抜けていってしまう。

明晰夢のただ中で、これは!という何かを見て、「絶対覚えておこう!」と強く意図して目を覚まして、頭を振らないように🤣そっとメモをとりかけるとまもなく、指の間から砂がさらさらと抜け落ちてしまうように記憶が砂化してしまう。

あんなにハッキリと「あっち」では意図しているのに、そうそう持ち帰れない。

この作用はなんなんやろう?

……というところに、京タロカードの《八 エンマ》がある。

エンマのカードのモデルが、閻魔大王の右腕で冥府渡りで知られる小野篁おののたかむらさん。
平安時代の実在の政治家でもあったとされる。

京都タロットの世界観では、忘却…忘れさせるというのが、彼のミッション。

何を持ち帰るかではなく、何が持ち帰れなかったかが重要なのだ。

重要というと「(それを)覚えていなくては」と思ってしまうけど、覚えていないってことこそが重要。
今日のすべてを忘れさせ、明朝、全く新しい今日を迎えさせるという作用

日々の憂さってのは、本質において、あるものではない。つまり、「今」、実際には、なにもない。

それなのに、私たちは「覚えているから」あたかも、それ(憂さ)が「ある」かに思えて悩む。

そこを、スパーンと切って過去のものとし、「今」という本質に還らせてくれるのがエンマの作用だと私は考えている。

いやぁ、ほんまは愛なんやろね〜。

ただ、夢で見た「素晴らしい何か」は、できることならそのまま持ち帰らせてほしいけど、エンマ的な作用は「眠り」全体に及ぼされているようなので、何かだけを持ち帰って、他は忘れるというのは難しいのだろう。

……いや、ちょっと違うかな。

眠りの世界から、持って帰っていいもんとアカンもんがあるわけじゃない。
眠りと覚醒という二層の状態が、人間であることのスタンダードなので、二層にさせている境目のグラデーションが緩んで広がると、眠りと覚醒の差がなくなる。つまり、すべては眠りであり、あるいは覚醒ってことになる。

そうなると、すべて持ち帰れる…否、境目がないので持ち帰るもなにもない。そのまま、ぜんぶがここにある。

ただ、すべてが眠りになるとは、なにもかも無意識という状態で、
すべてが覚醒というのは、すべてが意識的な状態 という徹底的に決定的な違いが生じている。

いや、違いが生じている なんていうのは、一体、誰の目なんだい??😎

誰でも本質的にひとつの目しかないので、個々人にとって、眠りか覚醒か(無意識か意識的か)のいずれかで、その世界の中で、完全なるワンネスとなっている。それだけ。

どっちでもいい。どっちにしても、絶対なる平安のワンネス💫

ただ、無意識のワンネスというのは、いわゆる動物の状態。
動物たちの多くが(おそらく)無意識の状態。条件反射の世界。反応をし合って、全体で一つとして機能している。

人間は、おそらく次の段階ではあるけれど、地球人のそれは、次に至っていない場合のが多いとは思う。

そこの安全弁として、眠りと覚醒があって、エンマの作用がある。

いや、この話は、実際はアカンというかヤバイ話ではあると思う。
闇の科学者なんかがいたら、ここをいじってしまえると思う。😱

エンマ的作用というのは、赤ん坊にとっての分娩までの羊水的なものだと私には思える。

生まれるその瞬間……覚醒のその瞬間までは、絶対的に必要な「守り」なのだ。羊水のように。

とか考えると、なにがアカンのかけっこう明らかになるけど、トンデモ話なので、ここからは道場に預けよう。😁

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次