みなさんも、たぶんそうだと思うんだけど、
「自分」からズレたことをすると、
すぐに「アカン結果」が出るやん?
自分の「本音」からズレたこと。
ほんとはやりたくないのに、やったり。
私も、いまだにやってしまうことある。
先日、夫から落語に誘われた。
夫は、私に気晴らしを与えようと思ってくれてて、その気持ちがわかっていたから「せっかく誘ってくれたんだし」と行くことにした。
その日の朝、寝不足ですごくダルかった。
正直、もっと寝たいって思ってた。
でも、断れなかった。
断ったら申し訳ないって思ったから。
落語自体は何も悪くはなかったけど、体はダルいし、いろいろとあって、半日面白くなかった。
夕方には、お互いに、そんなつもりでは……って気持ちになってた。
だから「実は…」と本当の気持ちを夫に正直に言ったら、
「そういう時は、言ってくれた方がいい。無理して合わせてくれても、こうなるし」と。
無理して合わせる
ってのを、私たちはやりがち。
まあ、それを美徳とか思いやりと信じてきたから。
「どうしても眠くてごめんね」
って言えなかった。
まあ、相手のことが大事だと思っているからこそ言えなくて、断った時に、夫を嫌な気持ちにさせるのが怖かったから、無理して合わせることの方を選んだのだ。
自分にドタキャンを許すと、たぶん、相手のドタキャンも許せる。
ちなみにいつものSちゃん。
彼女はドタキャンの名手で、
約束の前日でも、平然と「ごめんなー。海の方に行きたくなってん」と言い放つ🤣
なのに、ドタキャンされた私の方も、なぜか全く嫌な気持ちにならない。
それは、彼女が自分を許し切っているからで、私も、彼女には平気でドタキャンできる。笑
許されているのを「知っている」から。
そこに、「なにもない」から。
ドタキャンなんか許されない──
つまり、
「最初の約束はやぶっちゃいけない、ダメ、ゼッタイ!❌」
という価値観(世界観)の中で生きてきたので、同じ価値観の人(大勢)と、その世界を作り上げてきただけなんやな。
ドタキャンを許さない価値観も、もちろん有ってよくて、これからも、その世界観を大事にしている人たち同士で仲良くやっていくだろうし、それはそれで、とても良いことだ。
ただ、そうじゃない価値観の私が、その中に入ろうと努力をするから、おかしくなるんやね。
ドタキャンを許し合う世界は、今までのスピード感とは違うから、ひょっとしたら、すごく世間から「遅れていく」かもしれない。
でも、私は、どんなに遅れても、自分の気ままも、人の気ままも許し合う方の世界にいたい。
約束より、旬の感覚を優先させてほしい。
たった一人になっても、私は、それを選べるの──?
今、その世界への移行中だから、試されているみたいに、これまでの価値観との不具合が起こりまくっているけれど、これこそ、起こるべき通過儀礼。
そして、自分のこんなヘタレを愛そう。
最低で最悪の欠点こそ、私を私たらしめている貴重なファクターで、愛おしい部分に違いない。
ずっと変えようとがんばってきたけど、
心から大事にしてあげようと、今、思っている✨
(まあ、ドタキャンなどしない方がええってのは、一応言っておこう。誤解されそうだから。笑)

