今日のアホなこと。
ノズル掃除ボタンを押したつもりが、お尻洗いボタンで、勢いよく空(くう)にお尻洗い水が噴射。
私の肩に当たり、さらにトイレのドアまでビチャビチャになったよ……💦
いやぁ、長年のトイレ人生の中で二番目の大惨事であった。
(一番目は、幼い頃ボッチャン便所に落ちかけたこと。😅)
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先日、高校時代の同級生のM子が遊びに来てくれた。3年前ぶりくらい。
(その時、だいたい20年ぶりだった)
人生も還暦近く生きると、だれもが一筋縄ではいかないことの一つや二つはあって、彼女も然りで。
でも、そういう諸々のことを乗り越えて、なんだかさっぱりしていて、もうあれこれ喋るのが楽しすぎて、お昼ご飯を忘れて、あの頃みたいに噂話に花が咲いた🤣
噂話といっても、もうなんだか軽くて、ゲラゲラ笑っているだけなんだけど。
やっぱり高校時代って花🌸やったな〜って改めて感じた。
M子とは、普段から語り合っているわけではないのに、かなり通じ合える。
彼女も言っていたけど、もう微妙なウソでも気色悪いし、人からの「(あなたのことが)心配で」という言葉も、そこに心があるか否かはすぐわかると。
心配したフリとかいらんねん〜
ほっといてくれている方がよほど心ある〜
と。いや、ほんまやで。
うちらのオカンらの時代は、フリでも心配してるって言葉掛けることが当たり前で親切だったように思う。オカンらのコミュニティーでは、とりあえずのこんなやりとりが、実にナチュラルに機能してる。
「なりきって」やっているから、コミュニティ内では、フリなんて思ってないだろうけれど。ほんとうに心配している、と。
彼女らに育てられた私たち世代は、ちょうど端境で、フリにうすら寒さを覚えつつも、そうして横のつながりを保とうと「努力」してきたように思う。
でも、もう違ってきた。てか、最初から違ったんだね。ウソまじりなのって透けて見えるねー。( ̄∀ ̄)
そして、今度は、今の若者(うちらの子供世代)にまでいくと、もはや「心配」という概念自体に違和感を持っている子たちが多いように思う。
(そもそも)心配って、いる?みたいに。笑
なので、心配≒親切 みたいな感覚はあまりないんちゃうかな。あったとしたら、それは親世代の我々が教え込んだから。
だから、それが本当の心配か否かとかはどうでもいい。(←これはうちら世代の違和感)
彼らにとっては、心配自体がナンセンスだから、うちの長男などは、つい本気の心配をする母親(私)に対して「もう、ええて」と制する。😁
「そういうのが、かーちゃんのアカンところやで」とも言われる。
このアカンっていうのは、心配に堪(こら)えられないのが情けないんちゃう?…というニュアンスがあるのだ。
本当の心配と、言葉だけの心配の違いについては、すぐ気づいてしまうワタシ達にとって、次なる若い世代の間とのテーマは、もう「心配」自体なのである💫
どうせそのうちなんとかなっていくのに、親があれこれ心配なぞしているのは「おまえを信用していない」ってことの表明でもあるし、コントロール欲に他ならないことを、次なる彼らは本能的にわかってしまうので、そういうことにうっすら嫌悪感を持っているように思う。
ここを、堪えることが、うちら世代の次のテーマ。
堪える というと、本音を偽って心にフタをしているみたいで、母親側からすると、ちょっとしんどい感じに思えるが、結局、パラダイムシフトが起こっているっていうのは、ここの観念を心底ひっくり返すこと。つまり、可愛い子供のことでも、すっかり委ねてしまうこと。
世界を信頼するというのは、当然、子供のことでも例外ではなく、彼らを信頼して、手を離す。(あたりまえだけど、これはネグレクトとは違う)
こうやって、着実に新世代・新地球に移行する。
彼らが頼りなく思えたとしても、あるいは無茶に思えたとしても、新しい世代の方が、より大きな世界観を携えてきている宇宙由来であることは肝に銘じていたいと思う、還暦まで3年のミケなのでアール💫💫

